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「店を持つなら地元で」料理人として西土佐へUターン

更新日:2026年6月17日更新 印刷ページ表示

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「店を持つなら地元で」料理人として西土佐へUターン

中平貴志さん(54)​​

出身地/四万十市西土佐

Uターン年/2009年

四万十市西土佐江川崎出身の中平貴志さん。
中学生までを地元で過ごし、高校進学を機に南国市へ。その後、料理の道へ進み、愛媛県や高知市、四万十市内の飲食店などで経験を積みました。37歳のとき、西土佐へUターン。現在は、地元で飲食店「やまの台所 みん家」を営みながら、家族とともに田んぼや畑にも関わり、自分たちで育てた米や野菜、川の幸などを使った料理を提供しています。

料理の道へ進んだきっかけ

高校卒業後、中平さんは福祉の専門学校へ進学しました。その頃、料亭のアルバイトで調理補助として厨房に立つうちに、料理のおもしろさを感じるようになったといいます。やがて専門学校を中退し、料理人としての道を歩み始めました。

その後、愛媛県の寿司割烹、高知市のリゾートホテル、四万十市内の飲食店など、さまざまな現場で腕を磨きました。「いろんな料理の出し方を覚えたかった」と話します。

外に出て気づいた、地元の食材のおいしさ​

20代前半の頃から、将来的には高知へ戻ることを考えていたという中平さん。

料理の勉強を続ける中で、あらためて気づいたのが、地元の食材のおいしさでした。

「家で普通に食べていたご飯がおいしかったんです。米も野菜も魚もおいしい。やっぱり、良い素材を使った料理を出したいと思いました。」

さまざまな料理や食材に触れたからこそ、子どもの頃から身近にあった西土佐の食材の良さを感じるようになりました。

自分で選んだUターン​

「どうせ料理をやるなら、自分の店を持ちたい。店を持つなら、地元で」

そんな思いがありました。

また、長男として、いつかは家を継ぐという意識もあったといいます。

田んぼや畑があり、親のこともある。親から「帰ってこい」と言われたわけではありませんが、地元に戻ることは自然と考えていたことでした。

最終的に、西土佐へ帰ることを決めたのは中平さん自身。

料理人として自分の店を持ちたいという思いと、家族や土地とのつながり。その両方を大切に考えたうえでのUターンでした。

地元の恵みを料理に​

37歳のとき、中平さんは西土佐で店をオープンしました。

お店の名前は「やまの台所 みん家」。

「みんなの家」を略した「みん家」には、訪れた人に自分の家のようにくつろいでほしいという思いが込められています。

店では、家族で育てた米や野菜を使い、季節に応じた料理を提供しています。なかでも人気なのが、市場にはほとんど出回らない「ヤマトヌマエビ」の唐揚げ。中平さん自ら、きれいな谷川へ採りに行くそうです。

お客さんは地元の人をはじめ、となりの愛媛県や四万十町から訪れる人も。ゴールデンウィークや夏休みなどには、観光客が立ち寄ることも多いそうです。

えびの唐揚げ えびの筒

​やりたいことをやって、帰りたければ帰って来たらいい

現在、結婚して2人の息子さんがいる中平さん。

子どもたちには、西土佐から一度出て、やりたいことをやってほしいと話します。

「帰りたかったら、帰って来たらいい」

地元に残ることも、外へ出ることも、戻ってくることも、自分で選べばいい。

自身も外で経験を積み、自分の意思で西土佐へ戻ってきた中平さんだからこその言葉です。

 

料理人として歩む中で、あらためて感じた地元の食材や暮らしの良さ。

中平さんは、その魅力を料理を通して伝えています。

 

https://yamanodaidokorominya.com/<外部リンク><外部リンク>

 

※このインタビューは2026年6月現在の内容です。


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