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記憶にございません(令和7年4月号掲載人権コラム)

更新日:2025年3月26日更新 印刷ページ表示

記憶にございません

   

 汚職事件、職権濫用。「お食事券」で「食券乱用」だと得した気分だが、そうではない。
 悪事を追求されると、記憶力抜群の官僚はなぜか、「記憶にございません。」と言う。50年ほど前にも国会で使われて、大流行した言葉だと記憶するが、未だに同じように使っているのには驚く。「ガチョーン」とか「アイーン」はほとんど聞かなくなったが、この国会議員や官僚たちの「記憶にございません。」は未だに使われ続けている。
 この言葉、責任逃れをするために、「嘘」をついているように聞こえるのは何故だろう。ここが問題なのだが、私たちが「嘘がわかる」、と言うことは、自分だったら、こう言い訳する、と考えているからである。これなら後で真実が暴露されても、「覚えてなかった」ことになる。非常にズルいことだが、追い詰められたら、私なら、そう言う。
 悲しいことに、人の言い訳が「嘘」だとわかる、ということは、自分も「同じ思考回路である」ということなのだ。その自覚が無いまま、人を一方的に批判はできない。
 心の中が差別や嘘にまみれていると思いながら生きている人は少ない。自覚しても、とても人には言えない。
 だから、人権学習の第一歩は自分の中の差別性に気づくことであると単純に思う。

 

 四万十市人権教育・啓発講師 光内真也