本文
知っているようで(令和3年8月号掲載)
~ 知っているようで ~
平安時代、源信という僧侶がいた。日本人の地獄のイメージを作った『往生要集』の作者としても有名である。早くに父を亡くした彼は母親に育てられ利発な子どもに育った。
ある日、源信が川で遊んでいると一人の僧侶が川の水で弁当箱を洗っていた。親切心から源信は「あっちにもっときれいな水があるよ。」と僧侶に言った。僧侶は源信に教えさとした。「仏の教えは浄穢不二じょうえふにといって、きれいなもの、汚いもの、という区別はないのだ。」これに対し源信は、「じゃあ何故あなたは洗っているの。」と言った。僧侶はぐうの音もでなかった。仏教を知識として身につけていても、自分自身の行動は果たしてどうであったか。
源信は九才で比叡山にはいり、天才の名をほしいままにした。わずか十五才で村上天皇に仏教学の講義をし、褒美として宮中から豪華な品々が与えられた。源信はそれを故郷の母親に送った。するとすぐに荷物は送り返されてきた。「人々を救う僧侶となってほしい、と送り出したのに、自慢する僧侶になっていたとは、母は悲しい。」という内容の手紙が添えられていた。幼い頃出会ったあの僧侶と同じように「知っているようで」実は道をふみはずしていなかったか。母の言葉に促され、源信は人々の救いとなる本を書くため、隠遁いんとん生活に入った。
知っているようで、実は本質から目をそらしているのが「差別」の問題である。理屈で差別は悪いこととわかってはいても、「きれいごと」と「本音」が一緒にならない自分がいる。 自分の心の中に照らし合わせて「差別」を考えていくと、このことに無関係ではなかった自分にきっと気づくはずだ。そして、それは決してむずかしい話ではない。
四万十市人権教育・啓発講師 光内 真也