中村市の広報紙に「市長室こぼれ話」 というタイトルで市長のコラムが毎月掲載されています。
 今回は平成15年9月号の広報に掲載された「市長室こぼれ話」No.35をもとに、中村市の史跡を紹介します。
 左の答えも本文中に出てきますので、楽しみにしてください。

史跡めぐりHP

写真撮影:2003/11/26


**市長室こぼれ話**

 私が市長になり始めの頃よく、「中村は小京都といわれるけど、一体どこに案内したら小京都らしいところがあるのかねえ。」という話を聞きました。確かに碁盤の目の通りや東山・鴨川などの地名は残っていますし、一條神社・太平寺・不破八幡宮はありますが、それ以外に全体に歴史の香りが乏しいのは否めません。
 そんな思いを胸に抱いていた時、何度か東京に出張に行って町の辻々で目にとまるものがありました。それは場所を案内した金属の碑でした。「霞ケ関」「汐留」「富士見坂」「汐見坂」などの歴史的な地名の由来がかかれていて、道行く人の興味をそそるように配置されていたのでした。私はこれは町づくりに使えそうだなあ、という思いがしたので、目にとまる限り写真に収めて帰りました。
 そして旧中村町内のなるべく中心街で史跡を調べてみたところ、面白いことに、中村市内は小京都の系列が強い京町・本町筋と、山内3 万石の武家文化の系列が強い丸の内・桜町・小姓町筋とその他の系列というふうに分かれていることに気がつきました。
 そこで32 本の歴史の石碑をたて道筋に従って小京都のゆかりが多い一番外回りを歩くA コースと、山内3 万石のゆかりが多い内回りのB コースと、中心部のC コースの三つの史跡めぐりのコースを考えてみました。

 ではご一緒に中村史跡めぐりに出かけてみましょう。少しは中村の歴史に強くなりますよ。

  出発は@一條神社です。ここは一條家御廟所(びょうしょ)のあったところで、兼良から始まり土佐一條氏歴代の霊が祀られています。

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 ということで、最初のスポット「一條神社」です。

 左上写真が参道の入口付近。史跡めぐりの石碑がここに立っています。

 左下写真が一條神社の境内です。参道の奥の階段を上りきったところが境内になります。

 


**市長室こぼれ話 つづき**

  次は一條邸内にあったA「咲かずの藤」です。第4 代一條兼定が長宗我部氏に追われた時、「植えおきし庭の藤の枝心あらば来ん春ばかり咲くな匂うな」と歌を残し、その藤はその後3 0 0 年間花をつけませんでした。

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 「咲かずの藤」は左写真のように参道奥の階段の手前にあります。
 この藤、現在は花をつけています。

**市長室こぼれ話 つづき**

 三つ目は一條家が使った七つの井戸のうち唯一現存する井戸で女官たちのためのBお化粧の井戸です。


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 「お化粧の井戸」はちょっと分かりにくい場所にあります。
 境内への階段の中段から左へそれる道があります。左上写真がその入口です。
 その奥に左中写真の入口があります。ここに史跡めぐりの石碑も立っています。

 その奥へ瓦敷の路地を進むと、左下写真の井戸が現れます。

 ぱっと見、とても5百年も前に造ったとは思えないほどきれいな井戸です。
 残念ながら井戸の中をのぞいてくるのを忘れたため、今も水があるのかは不明です。是非来て確かめてください。

**市長室こぼれ話 つづき**

 四つ目は一條神社を出てC京町の通りです。古くから北部地域へつながる主要街道として、またその沿道は主に商業の町として栄えてきました。

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 京町の史跡めぐりの石碑は某信用金庫さんの前に立てられています。左上写真がそれです。

 左下写真が京町通です。最近道路舗装の改修が行われ、とてもきれいな通りになっています。この写真の中に次の石碑も写っていますが、小さくて見えませんね。

**市長室こぼれ話 つづき**

 次はD遠近鶴鳴の生家跡です。生家は中村一の商家でした。幼い頃から学を好んだ鶴鳴は私塾を作り、多くの門下生が幕末に活躍しました。

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 ここも京町通にあります。このすぐ近くに「幸徳秋水生家跡」もあります。

**市長室こぼれ話 つづき**

 六つ目はE玉姫の墓です。玉姫は伏見宮親王王女で土佐一條家2 代房冬の婦人となりました。一條家と皇室との近い関係をあらわしています。

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 左上写真が「玉姫の墓」の史跡めぐりの石碑です。場所は中村小学校の向かいになります。

 お墓自体は、左中写真にある石碑から奥に伸びる路地を入ったところにあります。

 左下写真がお墓の写真です。
 そう、冒頭の写真のお墓は、「玉姫」のお墓でした。

 ここは町の中にありながら、ひっそりとした雰囲気に包まれています。中村で暮らす人でも、ここを訪れたことのない人は少なくないのではないでしょうか。

**市長室こぼれ話 つづき**

 次はF紺屋町跡です。紺屋とは藍染業のことですが、江戸時代には染物業の総称になりました。山内3 万石時代には、京町4 〜5 丁目の付近に紺屋が集まり、商屋街を形成しました。次に大神宮さんからまっすぐ堤防へ通じる道は上横町とよばれ、一條時代はこの道を通って川から町中へ入ってくる順路でした(Gよこ町跡)。そしてこの道は一條家の政庁からまっすぐ北へ通じる主要街路(Hたて町跡)と本町郵便局の所で交差していました。江戸時代にたて町は本町と改名されました。以上少しは歴史の香りがしましたか。この次は武士の歴史が濃いところにいってみましょう。

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 左写真は紺屋町跡の史跡めぐりの石碑です。これも京町通にあります。

 「よこ町跡」の石碑は、土佐中村郵便局の近くに、「たて町跡」の石碑は本町2丁目に立てられています。今回は写真は撮っていませんので、是非探してみてください。