本文
人権コラム(令和2年1月号広報掲載)
人権さまざま 172
ひとは誉めるに越したことはないとは思いますが、このほめ方もなかなかにたいへんです。個人的判断だけで済む場合もありますが、事が地球規模ともなると判断が難しく、つい権威ある判断にすがってしまうことも多いと思います。たとえば、ノーベル賞を受賞しているかどうかも基準になります。戦前の日本は一人の受賞者もありませんでした。戦後、湯川秀樹博士が物理学賞を受賞し国中にその存在が浮き彫りになりました。その後は〈今年は日本から何人出てくるだろうか〉と関心もあつまり、期待もたかまっています。今年も科学の分野で一人が受賞でき私も手放しで喜んでいるところです。
その賞の分野に文学賞というものもあります。日本では作家の川端康成が受賞しましたが当時でも素人文学者の間では(なぜ川端か)の声も聞こえたものでした。私は少年の頃から好きな作家でしたので、友人らとその議論をしたものでした。数学や科学のように〈数量=点数〉で誰にでもわかれば反論も少ないでしょうが、文学や音楽または平和への貢献度などは一位が誰で二位は誰なのかわかりにくいのではないでしょうか。
この賞は、昨年はスキャンダルで見送られました。今年はどうかと気にしているとオーストリアの作家、ペーター・ハントケ氏が選ばれたと知りました。
ところが非難ごうごうです。欧米ではハントケ氏を厳しく問う論調が多いといいます。彼はユーゴスラビアの内戦でイスラム系住民七千人以上が殺害された「スレブレニツァの虐殺」をイスラム系がでっち上げたものだという論調を続けています。その虐殺の張本人のユーゴ大統領の葬儀に参列し弔辞までも読み上げました。彼へのノーベル文学賞を直ちに取り消せと言われているとの報道です。
政治的な出来事の賛否両論は私にはわかりませんが〈人を賞すること)の難しさを教えられる思いがいたしました。
わが近所でも、あの人はいい人悪い人との評価が飛び交います。後日、「あんな人が…」との評判が駆け巡ることがよくあります。あいつがやることぐらいおれでもできるんだという人さえもでてきます。
私の若い頃は『賞することは罪悪だ』という論陣を張る人さえいたことを思い出しました。
四万十市人権啓発講師
山本 衞