広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成31年2月号 

★人権さまざま★ 161

   山村の小学校に勤務していたころ、子供たちの間で奇妙な日本語が飛び交うのに気付きました。「おげた」とか「おぐ」というのです。訊(き)いてみると「(も)げた」と「折る」という動詞をくっつけて誰かが作った言葉らしい。そんな日本語は正しくないぞと注意しても「エンピツのシンがオゲタ」などと普通に言い合っていました。

 最近こんな話もあるようです。日本史最大の歴史的人物とされてきた聖徳太子の名が小学校の教科書から消えるというのです。太子の業績だとされている事柄はとても多くありますが、中でも小野妹子を隋に派遣して煬帝(ようだい)に送りつけたとされる有名な公文書、『日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや』があります。これが太子とは全く関係ないと隋の歴史書は記述しています。当時北九州(博多湾沿岸)に居たという(たい)国王・多利思北孤(たりしほこ)が送り届けたもので、隋王が腹を立て、送り主の国名を差別用語<>に書き換えて歴史書に書き残したといわれるのが事実です。それがいつか太子の手紙だと日本史は書き換え、子どもたちまでも学習させられていたものでした。これは大和に日本の政権が生まれる前後の話なのですが、のちの政治で大和政権こそ正当だという歴史観=皇国史観に基づいた考え方を国民に強制してしまいました。聖徳太子は生涯、天皇にならなかった人物で国を代表して外交文書を出すはずがありません。こんな大切な事柄が、いつの間にかねじ曲げられ、しかも史実だとして教えられていたのでした。

 このように「国」の段階でうそを教えられた事柄は私の人生体験でも数多く存在しています。例えば、戦時中の大本営発表などはその典型だといえます。負け戦を「勝った勝った」と繰り返し報道していました。負けてやっと本当のことが国民に知らされたという無念さを子供心にも知らされたものでした。
現代は主権在民の世の中、まさか国がうそをつくことは断じてないはずですが、私共は国の主権者として、真実の目や耳を養うことが真の人権を貫くことでもあると思っています。
今ではすっかりおとなになったであろうあの山村の子供たちは、今でもまだ「おげた」という言葉を使っているでしょうか。いつか会ってみたいものです。

 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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