広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成30年5月号 

★人権さまざま★ 157

   中国4千年の歴史には多くの国が生まれ消えて行きました。陳寿のいた三世紀は魏、蜀、呉、など強力な国家が覇権を争っていた時代であり、その一つ晋国に陳寿は生まれ、王国に仕え宦官(かんがん)となります。宦官とは王妃や妻妾に奉仕する役割のため去勢された役人を称します。

 文筆に優れ多くの書物を遺します。魏志倭人伝とは、大国「魏」の歴史書であり、倭国や卑弥呼などを記したという意味であります。ご存じのように、自尊の強い中国は「世界の中心の華」と称し、周辺は全て野蛮国であり、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)、東夷(とうい)、西戎(せいじゆう)と、蔑視の強い国柄です。日本も例に漏れず倭も卑も差別用語で表現されています。倭夷、倭狗、倭鬼などあまり嬉しくない言われ方もされてきました。

 それでもわが国に記録のない時代から関心を寄せてもらっていたことは今ではとてもありがたいことではあります。

 この魏志倭人伝が日本で詳しく読まれたのは徳川時代でした。当代一流の国学者達が研究しました。しかし、どうしてもわが国に当てはまらないと結論付け、原文を勝手に書き換えてしまいます。邪馬壹国の壹を臺の文字に変えてしまいました。

 本来ヤマイチコクとすべきをヤマタイコクとした根拠となり、これが正式名称になってしまったのです。でも原文はあくまでも壹であり、臺ではありません。また、陳寿がこんな誤りを犯すはずのない根拠がもう一つあります。臺(台)の文字は中国では天子(王)の居る貴い場所であり、野蛮国の(例えば日本の)都をゼッタイに臺と表現するわけがないからです。

 こうして見林や宣長のミスがミスのまま伝えられてしまうことになってしまったのです。

 わが国に当てはまらないものがまだありました。里程を表す長さの単位です。原文には朝鮮半島から九州に到る距離を「里」と表現していますが、日本国の1里の長さ(現在4キロ)ではなく、魏国は晋国の基準を用い短里(1里は約77メートル)でした。そこまで研究の及ばなかった国学者達は色めき立ちデタラメの資料だということになったのだといいます。陳寿は名文家ではないそうですが、誤りを犯さない歴史家であったと今も伝えられています。邪馬台国でなく、邪馬一国だと、日本史の修正が必要ではないでしょうか。

 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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