広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成30年4月号 

★人権さまざま★ 156

   先号は「人類の誕生」でした。今回はわが国の歴史書について述べてみます。

 大津京で政務にあたっていた天智天皇が死去すると、大津方と吉野方との間で戦闘が始まります。世に言う壬申の乱です。

 大海人皇子が第四十代天武天皇となります。天皇は皇族による政治体制を整え、しだいに国内は安定に向かいます。前天皇の機構を改め、本格的な律令国家をすすめ、中国の歴史書をまねて歴史編纂を決意します。

 太安万侶と稗田阿礼の手で「古事記」を纏め、続いて第四十一代天皇となった皇后の持統天皇により日本書紀も完成をみます。わが国最古の史書誕生ですが、それ以前の事柄は中国史誌「三国志」に、東夷傳・魏志倭人伝として記載されています。撰著者は晋の役人・陳寿(三世紀の人、後日詳細に紹介する予定)です。これによると、大陸からわが国にいたる里程や人物がのべられ、礼儀正しく勤勉な人々が多いとされ、また、顔には刺青をして海中に潜り魚貝類を獲っている等と表現してあります。この書物が徳川時代の国学者達の間で論争となり、いくら読み解いてもわが国に適応しないところから当代髄一の学者松下見林が、一部の文字の使用に誤りありと論じ本居宣長までも賛同し、それが定説となって現在まで続いています。今は当たり前のように記述されている邪馬臺(台)国という表現は、原文にはなく邪馬壹国なのです。壹と臺はよく似た文字なので勝手に変更したのです。

 理由は国名をヤマトと読みたいためであり、ヤマイチでは国の始まりが大和ではなくなるからだというのです。明治に入って女王卑弥呼の都は何処なのか「東大派対京大派」に分かれて論争が続き、今も決着していません。また、倭国は日本全体を指す言葉ですが、その女王の居た都は何処なのか、博多湾周辺だ、いや大和の辺りだとか、論争が繰り返され、私も素人ながらこれをおもしろく勉強しました。今では自分なりにヤマタイコクは此処だと決めています。但し私の知恵ではなく文献学者古田武彦説を全面的に信じているに過ぎませんが・・・・・・。

 ここまで書くともう少し深入りしたくなりました。次号に継続させていただきます 。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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