ロケ地の四万十市の紹介 | 遅咲きのひまわり 〜ボクの人生、リニューアル〜

ロケ地の四万十市の紹介

位置的には、高知県の西南部に位置し、周りは豊な森林に囲まれ、南東は黒潮おどる太平洋に面した自然と、市域には日本最後の清流と言われ、全国的にも有名な悠久の大河「四万十川」が貫流しており、まさに山紫水明の自然環境に恵まれた町です。


四万十市(旧中村市)は今から約500余年前、応仁の乱をさけた前関白一条教房公が下向し、この地に館を構え、京(京都)に模した町づくりを行ったとされています。これが「土佐の小京都・一条文化」の所以であり、今日の繁栄の基礎が築かれました。今でも碁盤目状の町並みや祇園神社・東山・鴨川の地名や大文字山の送り火など伝統行事に当時の名残を留めています。

ロケ地の四万十市の紹介



沈下橋
■ 沈下橋
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 沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことです。
 緑の山々に青い四万十、そして沈下橋という風景は、もっとも四万十川らしい風景でしょう。河口からいちばん近い沈下橋は、佐田(今成)沈下橋で、橋を渡るときの気分はそう快です。
 他に、四万十市内だけでも、三里(深木)、高瀬、勝間、屋内(口屋内)、岩間、長生、中半家、半家の沈下橋があり、いずれも四万十川らしい、川と人との関わりの感じられる風景が見られます。



赤鉄橋(四万十川橋)
■ 赤鉄橋(四万十川橋)
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 四万十川橋は中村地区の中心部(四万十川河口から約10キロの地点)にある橋で「赤鉄橋」の名で親しまれています。完成は1926(大正15)年。長さ438m、幅員5.5mで、完成当時は四国一の鉄橋だったそうです。中村のランドマークの一つです。



一條神社
■ 一條神社
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 この神社は、文久2(1862)年、中村御所跡の一部の小森山山頂にあった一條家御廟所跡に、土佐一條氏の遺徳を偲ぶ有志によって建立されました。
 土佐一條氏は応仁の乱を避け下向した前関白一條教房に始まり、以後4代、中村の文化、経済の発展に力をそそぎました。この神社には教房の父、兼良を始め、土佐一條氏歴代の霊を祀っています。
 市民には、「いちじょこさん」と親しまれ、毎年11月に行われる大祭は、土佐の3大祭の一つに数えられています。現在の社殿は、昭和19(1944)年の建立です。



天神橋商店街 天神橋商店街
■ 天神橋商店街
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 一條神社の参道前から西へ続く商店街アーケードで、毎月1回、日曜市が開かれています。新鮮な野菜、鮮魚や地元ならではの商品がずらりと並び朝早くから賑わいます。



四万十市立郷土資料館
■ 四万十市立郷土資料館
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 四万十市立郷土資料館は、桜の名所「為松公園」の一画に、愛知県の犬山城を モデルに建築されており、天守閣風の館からは、四万十川、東山を臨み、市街地を一望することができます。
 館内には、土佐一條家にまつわるものや、日本では四天王寺や法隆寺 などに4本しか確認されていない七星剣、幕末の志士 坂本龍馬らと親交があった樋口真吉が残した勤王運動に関する日記「遣倦録(けんけんろく)」及び「南溟(なんめい)詩画帳」の中から見つかった、中岡慎太郎の漢詩(暗殺された慶応3年(1867)に書いたと見られる)、明治を代表する中村出身の社会主義者で、明治44年(1911)大逆事件に連座し、同志と共に処刑された"幸徳秋水"に関する貴重な資料など幡多郷土のさまざまな資料を展示しています。



四万十市立市民病院
■ 四万十市立市民病院
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 四万十市立市民病院は昭和27年11月に開設し、地域の中核病院として本市の市民だけでなく、近隣の住民の命と健康を守ってきました。
   内科では糖尿病や慢性腎臓病(CKD)など生活に密着した疾患の予防から治療までの診療体制の充実を図りながら、人工透析患者60数名の診療もしております。また外科、整形外科、脳神経外科は市内で唯一緊急手術に対応できる体制も整えています。
   高齢化の進展する中で、地域の医療機関等と連携を取りながら、市民の命と健康を守る市民病院の使命をこれからも果たしていきます。
 
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