広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成29年12月号 

★人権さまざま★ 152

   読書の季節です。私は雑誌の「家の光」で育ちました。本家の爺さんが購読していたものですが、どんなものでもいいから本が読みたくて、爺さんが読みおわるのを待って隣家の表座敷で読み耽ったものでした。

 忘れもしません。小学校4年生の時、一つの作品に全身を痺れさせられました。(今となっては、題名も作者も不明ですが、内容は鮮烈に蘇ります。)

 一人の兵士が戦場で瀕死の重傷を負いました。両眼と両耳をやられ、彼はひっきりなしに「お母さんにあわせて下さい、お母さんにあわせて下さい」と叫び続けるのです。明日をも知れぬ状況に、まだ命のある内に願いを叶えてやろうと軍医らは故国送還を決意いたしました。

 田舎に一人留守を守っていた母親はとるものもとりあえずに病院に駆けつけました。懸命にわが子の名を呼び、全身を揺すぶり続けますが、兵士には通じません。「お母さんにあわせてください」を繰り返すばかりです。打つ手がない。万策尽きた思いでした、母親も同じ思いで息子のベッドに顔を伏せていましたが、やがて放心したように立ち上がると、やにわに帯を解き始め上半身裸になりました。周囲は母親が狂ったのかとさえ感じました。母親は兵士に近寄ると、息子の手をとって、自分の乳房を掴ませました。

 そうして赤児にでもするように乳房を口に含ませました。

 兵士は叫びました。「お母さんですね」「おかあさんですね」。確認するように、その乳房を握りしめ、そのまま安らかな笑顔のなかに息絶えてしまった、というのです。

 昭和17年、(前年には)日本はアメリカを中心とする世界を相手に戦いを始め、国中が戦時体制に突入していきました。

 しかしその本の内容はいつの時代でも通用する親子の情愛や母の愛の強さを表す「美談」として私はうけとりました。いちばん肝心なのは「戦争こそ悪の張本人だ」とは教えてもらえなかったのです。そこに目を瞑り美談だけを真実であるかのように描いています。

 その後多くの兵士達が他国の山野に無惨な骸を曝してしまい、あげくの果ては国そのものが滅亡してしまいました。あの時代に人権という日本語がある事を教えていてくれたなら・・・・・・と、今更のように思っています。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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