広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成29年5月号 

★人権さまざま★ 145

   今からちょうど70年前、敗戦後、初の総選挙で女性参政権がわが国に実現しました。その時以来、今回はじめて投票者の年齢が引き下げられて「18歳以上」となりました。国民はこの出来事を心から喜んだでしょうか、それとも「ああそうか」程度の受け止めだったでしょうか。

 明治維新以後、憲法を定め、国会を召集しても政治に参画できる権利は限られていました。女性及び一定額以上の納税者でない者の投票権はありません。

 その頃「民権ばあさん・演説ばあさん」と呼ばれた楠瀬喜多がいました。喜多は天保7年9月9日(高知市上町2丁目の龍馬が生まれた町記念館の近くに)生まれ、42歳で土佐藩士の夫と死別、戸主となり、多額納税者でもあったので、創立間もない地元の地方選挙に出かけたところ、「女は投票できない」と追い払われました。それなら納税をやめるとしたら、督促状が来たため行動に移しました。「納税しているのに、女だからという理由で投票できないなら税金も納めない」、と申し出て県にまたも突き返され、国に訴え出ました。その質問状に目をつけた大阪の新聞が論陣を展開し全国的に評判となりました。「人、髯あるがゆえに貴とからず、才智あるを以て貴しとせん」とその行動を称えています。

 反響を受けた、民権派の牙城だった上町町議会が、2年後、20歳以上の戸主であれば、男女を問わず選挙権、被選挙権を認めるとしました。当時、各議会は独自の規則を定めることが出来たので龍馬の甥で運動指導者の坂本直寛県令(いまの知事)らを屈服させたのでした。

 そのころ「男女同権」は紹介されたばかり、人々に浸透していたとは言えません。だが喜多は政治演説会に毎回欠かさず足を運んでいました。高知を訪れる若い民権活動家を自宅に泊め、後に衆院議長をつとめた河野広中らとの付き合いから氏のつてで衆議院を4回も傍聴し、晩年まで政治への関心を失わなかったといいます。

 大正9年10月18日85歳で生涯を終えています。

 このような先駆者がいたお陰で私達はごく当たり前のように政治参画の出来る時代に生まれることが出来たともいえるのではないでしょうか。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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