広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成29年3月号 

★人権さまざま★ 143

   以前「老人力」という言葉がよくつかわれました。世の中が老いぼれとか役立たずの意味も込めて老人をみていたことへの反発もあって生まれたのかとも思います。今は老人のすばらしさを大半の人が認めてくれる時代でしょうが、老人の真の姿は、その歳になってみなければ中中理解は難しいのではないかと思います。老人としての私の毎日は「未知との遭遇」の連続です。人生で初めて出あった事柄にいかに対処していくかが日々戦いとなります。ハプニングにどう対応すれば良いか試されているともいえます。

 そんなとき「もう歳だから」と呟いてしまうか、「まてよ、これもまたおもしろい」と思ってしまうかのいずれかを本人が決めなければなりません。

 いずれがよくて、いずれが悪いというものでもなく、決めるのは老人自身なのです。どちらが幸せか不幸かの問題でもないと思います。

 私の場合、加齢と共に「初めてのできごと」に日々追いまくられました。身内との別れがありました。若い頃は予想もつかなかった―知らぬ顔をしてきた―両親を始め、甥や姪に至るまで、さよならも言わずに消えていきました。病魔にも襲われました。若い頃だって同じことかもしれませんが歳がいってからのショックは大きいものでした。わけても若い世代との別離の衝撃は一入です。この人には自分の老後も見てもらえたらと心に決めていた相手だったりすると嘆きはますます大きいものとなってきます。衝撃は容易に払拭はでき難いものです。しかしながらそれさえも時間は必ず解決してくれます。生きるための踏ん切りが必要です。日時が過ぎた後「ああ、これも乗り越えられた」と声にできなくてはなりません。「いい体験だった」と自身に納得させることが大切だと思っています。

 生きるとは完結しない自叙伝を書き上げることです。八十年、九十年、百年かかっても仕上がらない大河物語で「完」の文字を作者は書けません。

 老人達よ。大作家への成長を信じ原稿用紙の枡目を埋め続けましょう。膨大な日記やメモを基に、若者共にひけを取らない厚みのある老春を大空に羽ばたかせようではありませんか。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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