広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成29年2月号 

★人権さまざま★ 142

   私どもの小学校時代は真に歪な時代でした。生まれ落ちて以来、中国大陸での戦いが続けられていて、それは正義の戦いであり、日本は中国人や野蛮きわまりない世界を正すための戦争をしていると教えられました。

 2年生になると日独伊三国軍事同盟が締結され、12月8日にはハワイ真珠湾攻撃に始まる米英相手の「戦闘状態に入れり」と叫ぶ大本営のラジオ放送が耳にこびりついたまま登校しました。朝礼では校長先生がニュースをもう一度再現して「君たちの奮励努力に期待する」と訓示されました。子どもの私にも胸に強く響きました。とても寒い朝でしたが、身震いしたのは寒さの所為ばかりではなかったと思います。世界一の金持ち国アメリカに勝てるだろうかと、大きな不安が過ぎったことを覚えています。

 その後は戦時一色に塗りつぶされ、男先生たちが次々に出征していきました。日の丸の小旗を振りながら、村境まで先生を見送っていきました。作文の時間は戦地の兵隊さんへと題して手紙を書き、図画や習字などといっしょに慰問袋で送り出すのが決まった勉強でした。

 男児と女児の勉強の仕方もはっきり分かれていました。同じクラスの女の子でも、うっかり声をかけると全員から冷やかされ爪弾きをうけました。中国の礼記から引用された『男女七歳にして席を同じゅうせず』を完全に実行させられ、五年生からは教室も別々になりました。そんなわけか同級生女子の名前も顔もとんと思い出せません。
 
 中学生になってやっと戦争は終わりました。世界中からやっつけられた後、初めて聞く民主主義、男女同権などの言葉は新鮮でした。女性にも選挙権が与えられ、翌年初めての国政選挙に母も出かけて行きました。不安だった私は母に「間違えんと書いたかぇ?誰を書いた?」などと訊きましたが、母は黙って笑うだけでした。あの時もう少し詳しく問い糾しておけばよかったと今も気になっています。

 尊い犠牲を払ってまで日本にもたらされた男女同権や参政権でしたが、真に有り難い仕組みや考え方だと、全ての国民が今も心底思っていると信じていい日本の現状でしょうか。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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