広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成28年12月号 

★人権さまざま★ 140

   テレビを楽しむ時間のウエイトが、私の暮らしに増えてきました。(読書の方が好きなのですが、スイッチ一つで苦労せず退屈を紛らわせてくれるテレビは高齢者向きで便利です。過去には縁のなかった番組までも視たりします)。

 リオでの五輪もパラリンピックも詳細にみせてもらいました。あまりスポーツ番組ファンではないのですが、改めて競技の凄さに感動もしました。ルールさえ理解しない種目にまで付き合ったりしたことでした。

 金メダルの体操、内村選手を始め、外国選手の競技にも拍手声援を送りました。ヒトの構造に違いはないはずなのに、鍛えればこんなにも困難なことに挑戦できるものなのかと、子ども時代から自分を甘やかすことしかしてこなかった自分に反省しきりでした。(今頃気付いても仕方ないでしょうが……)。

 オリンピックが終了すると、今度はパラリンピックです。

 躰に障害があり多くのハンディーをもちながらも、不自由をものともせず立ち向かう姿には何度も胸が詰まり、涙さえ流したりしました。視力ゼロでも視る力をもち、手や足がなくても通常の人の何倍も、走り、跳び、投げる力をもつこの人達を障害者と呼んでよいのかどうか疑問にさえなりました。ふと気付くと、障害者はむしろテレビを見ている側の大勢ではないのかとさえ考えさせられます。

 以前には、肉体の少しばかりの「不便さ」をあれこれ論い、全員で差別をしてきた歴史があります。その人達への差別用語は今も世間一般に通用しています。これらの用語を永久追放しなくてはならないと同時に敬意をこめた表現にしなければなりません。幸いにも私は日本語を、高めるための仕事(趣味)に、今も携わっています。そんな自分に向かって「お前はこれでいいのか」と言われれば返す言葉もありません。よりよい日本語を開拓しなければと、強く反省しています。「障害者」という語は差別用語ではないにしても、上から目線で使用されるようにも感じます。この用語を、人格と個性が加味されたものにできないものかと思い、全国の詩人達にお願いして、よりよい代替語を探してもらおうと考えますが、如何でしょうか。

 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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