広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成28年11月号 

★人権さまざま★ 139

   私は、近所の祖父母世代から歴史への関心を植え付けてもらったと思っています。中でも「安政」という年号は、安政大地震、安政の大獄、という二つの出来事をよく話してもらいました。その人の口元や声音までも今におき忘れられません。(地震だけを考えても安政は安静な時代ではなかったのだなと子供心に思ったこともありました)

 安政元年(1854年)11月5日、マグニチュード8.4の南海大地震に、日本中が震え上がりました。わが幡多全域も多くの被害を蒙ったと各地に痕跡や文献などをのこしています。

 当時、江戸で醤油業を営んでいた濱口梧陵は、ちょうど故郷(和歌山県広川町)に戻っていました。津波襲来を察知した彼は、高台の稲むらに火を放ち、この火を頼りに避難した多くの住民を海嘯(津波)から救ったと伝えられています。(昔の教科書5年生国語読本に小泉八雲作品で載せられていましたが、5年生になる前に戦時体制教科書に取って代わられ学ぶことは出来ませんでした)

 広川町は人口1323人中、97%の人が助かった(死者36人)といいます。濱口梧陵はその時だけでなく、夜は米をお寺で借りうけ、避難所に握り飯を配分、その後には隣村の蔵米50石を借用。寺の避難所には地面に畳を敷き戸障子で囲って野宿し、仮小屋を隣村に頼んで建設したばかりか、将来をも見越して堅固な堤防を造ることを思い立ちます。3ヶ月後にはその工事を始め、村人が毎日500人参加、その都度日当を支払い村の失業対策までも私財を投じて行ったといわれています。5年後の12月、堤防は高さ5メートル、幅20メートル、長さ600メートルで完成し、それより92年後(昭和21年)に襲った南海大地震にも集落を守ったとして今も讃えられています。

 濱口梧陵はヤマサ醤油七代目として事業を発展させ、明治4年、時の政府より(現在の郵政大臣相当の位で)迎えられ、後には和歌山県議会初代議長となり、欧米視察中の明治18年ニューヨークで客死。人々に捧げ尽くした生涯でした。安政大地震発生の11月5日は「津波の日」として国連で制定され(2011年)、全世界が津波を考える日となりました。「ツナミ」は世界共通語になっています。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

▲ Back
Copyright Shimanto-City Office All Rights Reserved