広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成28年8月号 

★人権さまざま★ 136

   正木聖夫をご記憶ですか。

 大正5年、東中筋村森沢の生まれで本名良正。昭和24年33歳で死去、今年は生誕百年です。

 旧中村中学から高知師範学校に進学、在学中は鏡川畔の貧民街に出入りし、自作童話を子らに読み聞かせ、紙芝居にして街の辻々で口演。道を行くと子どもたちが取り巻いて離れなかったと言われます。

 成績はトップで卒業、最初の赴任校で発行した文集が危険とされ教壇を追われます。翌年大阪市内小学校に勤務。福祉保護所長と親交。結核により休職中も筆名哲夫で高知新聞に童話を連載。病気快癒し幡多の地に復職、中村小学校などに勤務。童話集『暁の子供たち』や小説集『訓導記』を刊行、いずれも各方面から好評を博しました。

 詩人高橋新吉と親しく交流、聖夫の名で現代詩を書き始め、「狼笛」「南海詩人」「鯨」などの同人詩誌を発行します。

 ひと粒の米さえ入手困難な戦中・戦後にあって、全国規模で詩作を力強く展開されました。

 昭和17年、長女聖子が誕生、翌年三崎国民学校に転勤。

 7月、長女が麻疹に罹り嵐の三崎港から漁 船をチャーターして、高知の病院まで駆けつけ、一命は取り止めたものの、長女は片目を喪い両中耳を犯され障害者になりました。

 昭和20年応召、敗戦を経て、三崎中学校に復員、翌年宿毛中学に転勤。昭和24年、長女入学に伴い願い出て東中筋小学校に転出。聾唖の娘のいる一年生を担任。同年12月24日夜半、自転車で帰宅途中、中筋川に転落して死去。これからという時に、短い生涯を終えました。

 遺作文学作品は人道主義に溢れ、障害者聖子の明け暮れの模様のみならずハンセン病少女の身の上を描いた長編詩『灘の虹』等、人間尊重の理念を示す名作は高く評価され、いまも読者に深い感動を与えてくれます。

 愛娘聖子は高知県立聾唖学校を卒業、現在は埼玉県に在住。永年市会議員をされた夫や独立した三人の子・孫たちと幸せな老後を送っています。聖夫の妻英子は百歳近くまで生を全うし先年帰らぬ人となりました。

 私たちは『正木聖夫全詩集』を仲間と刊行し、その業績を映画化しました。今も日々新しい力をいただいております。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

▲ Back
Copyright Shimanto-City Office All Rights Reserved