広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成28年7月号 

★人権さまざま★ 135

   先月に引き続き、戦争と核や人権の問題を考えてみます。

 原爆投下は多数の死傷者をもたらしました。現在に至るまで、広島・長崎の犠牲者の数は分かっていません。地域全体が壊滅したからです。推定では民間の日本人だけでもその年の末までに二一万人、1950年10月までに三四万人が亡くなったと見られています。この人たちの大半は、世の中に「人権」という言葉のある事さえ知らなかったのではないでしょうか。

 翌年3月、マーシャル諸島のビキニ環礁から、住民が強制的に追い出され、太平洋での原爆実験が始まります。7月1日、最初の実験が行われ、1949年8月、今度はソ連による原爆実験で、米ソの核開発競争の時代となりました。その後米国は、より強力な水爆開発へと向かいました。1954年3月1日、巨大なキノコ雲が舞い上がり、ビキニ環礁ロンゲラップ島に住む人々の真上に白い粉雪のようなものを降らせました。爆発から六時間後のことで、雪ではなく、死の灰でした。

 そこから一六〇キロも離れた日本漁船にも白い粉は降り注ぎ乗組員の一人は六ヶ月後に亡くなりました。この事件がきっかけで、日本での原水爆禁止運動が広がっていきました。

 部分的核実験禁止条約(PTBT)が締結されたのは、1963年のことでした。これにより米ソによる大気圏での核実験は終わりましたが、地下核実験は回数を増していきます。中国、フランスも後に続きました。

 PTBT以前は五六九回、それ以降は一四五七回に達し、地球は核実験によって汚染され続けていきます。また、処理不能な核廃棄物や核のゴミ処理問題が地球上どこにいてもわれわれに覆い被さっています。戦争や放射能の前では個人の人権など一挙に吹っ飛んでしまう気配です。後始末の方法を知らないまま人類の前に現れて、何万年にもわたって汚染を続ける戦争のための放射能という存在です。

 広島を訪れたオバマ大統領も在任中に、核廃絶の道を最大の人権課題として世界に訴えていますが、私共も何か協力は出来ないものでしょうか。 あなた方は、人権問題とどう結びつけていくといいとお考えでしょうか。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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