広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成28年3月号 

★人権さまざま★ 131

   日本ペンクラブ創立80周年、記念講演は作家出久根達郎氏。

 美智子皇后様のエピソードから話が始まりました。

―美智子皇后様が08年スイスで開かれた国際児童年記念大会に英語でスピーチされた際、育児をされていた頃に読まれて感銘を受けられたという詩「頬」を紹介されました。

『生まれて何も知らぬ 吾子の頬に/母よ 絶望の涙をおとすな/その頬は赤く小さく/今はただ一つの巴旦杏に過ぎなくとも/いつ人類のための戦いに/燃えて輝かないといふことがあろう』―作者は「竹内てるよ」という女性です。長年詩に関わってきた私もこの詩人のことは、知りませんでした。後日、詩集と伝記を幾冊も買い込んで竹内てるよを調べてみました。

 彼女は銀行員の父が、18歳の芸者を愛し、正妻でない母から生まれましたが、赤ん坊の時に母親から引き離されました。母はわが子と離れるのが辛くて、海に飛び込んで自殺。てるよは北海道に住む父方の祖父母に育てられました。祖父は札幌裁判所の判事でしたが、結核で亡くなります。

 家計を助けるため15歳で上京し、中央公論社に給仕として勤め、結婚、男の子が生まれます。

 しかし、脊椎カリエスに罹り寝たきりの生活を送り、離婚。

 子どもは夫方に引き取られます。悲しみに耐えきれずその子との心中を決意します。寝ている子の首に手をかけようとした時、子どもがパッと目を覚まし、母の右手に揺れる赤いヒモを見てニコッと笑いました。てるよはそれを見て、子どもの頬に涙をこぼしたというのです。
(美智子皇后様がどうしてこの詩をご存じだったかは分かりませんが、あの方の底知れない偉大さに改めて感動します。)

 てるよはその後、生死に係わるいろんな病気に罹ります。

 そんな中、心中しようとした息子さんと、戦後、劇的な再会をします。息子は27歳。ヤクザになって名古屋刑務所にいました。刑を終え親子水入らずの生活を送りますが、それもたった三ヵ月、息子は喉頭がんで亡くなります。てるよも重い腎臓結核を再発しますが、懸命に生きて、07年98歳で亡くなりました。

 美智子皇后様がスピーチされたのは、その翌年のことでした。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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