広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成27年9月号 

★人権さまざま★ 125

   私たちは多くの人の助けなしには暮らしていけません。

 中学生への人権講話の際に、―あなたは独りで成長したのではない。両親はもとより、隣近所で出会う人、見知らぬ人々にさえ世話をかけ、十五歳までには二五〇万人もの人があなたの命を守ってくれたのだ。パンひとつにも、畑を耕した人、麦を播いた人、収獲した人、運んだ人、粉にした人、捏ねた人……。

 何百、何千の人の手で生かされてきているのです―。などと話し、「ありがとう」をいつも用意して生きてと伝えてきました。でも残念ながら、私自身が口先だけだったかもしれません。時には〈俺は独りで生きてる〉などと、思い上がっていたかとも思います。心から反省することになってしまいました。

 7月20日、予想さえしなかった出来事に見舞われたのです。

 いつもの朝と変わらず、血圧正常を確認。妻よりも先に朝食を終え、予てより懸案の仕事に取り掛かろうと、立ち上がったとたんでした。全身の力が抜けました。目もあけられず、救急車を!と妻に懇願。はじめは、冗談かと思ったようすでしたが娘夫婦も駆け付け、市民病院へと救急搬送されました。

 ぐにゃぐにゃで、全くの軟体動物となった私を、隊員達は車内で懸命の介護。名前と年齢を訊き続けてくれました。しかし、どんな人達なのか分かりません。嘔吐を繰り返しながら精いっぱい応えました。意識は失ってないと自己判断できました。

 到着を、院長自ら出迎えて(くれたらしく)、「山本さん!病院に着いたから安心してください」聞いたこともない大声でした。病名は『脱水症』。入院5日間。数多くの看護師、給食の人、汚物処理をし続けてくれた人、清掃係の方々など、近くで私だけに全力で尽くしてくれたのに、お名前も知らないままの退院となりました。

 日常にあれほど注意を聞かされていたのに、水分を十分摂取してなかった迂闊な私の命を、多くの方々が支えてくれました。せめて一人でも名前を聞いておくべきだったと後悔しきりです。顔も分からなかった救急隊員、不眠不休の介護に携わってくれた病院の方々に、改めて〈独り〉では生きられないことを教えられました。

 そんな自分をいまは、懸命にみつめ直しているところです。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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