広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成26年12月号 

★人権さまざま★ 116

   台風、洪水、崖崩れ、加えて御嶽山の爆発と、大きな被害を受けた日本列島でしたが、救助にあたった人々やボランティアの働きが、この夏も大きな感動を呼び起こしてくれました。

 苦難を乗り越えて秋本番です。神社の杜には秋祭りの幟が風にはためき、長閑な太鼓の音も響いてしみじみとした日本の情緒が伝わって参ります。

 さて、その太鼓のことですが、どこの地域でも伝統行事が開かれると、たいていの場合、集まりの真ん中におかれます。神社の祭礼はもちろんのこと、盆踊り、運動会などにも使われて、なくてはならない役割を持っているのですが、そのほとんどが被差別地区の人々の手で生まれたことはご存じでしょうか。

 太鼓に張られる皮は牛の皮です。農家の牛が働けなくなると部落の人々で解体処理をされ、毛皮になり、技術を加えて鞣し革となり、太鼓や馬具や靴などになっていきました。

 太鼓の胴は欅の大木で山の民が伐りだしたもの、皮と胴を結ぶ鋲は鍛冶屋が作ったものです。太鼓一つに、農民、山の民、鍛冶屋、被差別の人と、数々の人の手が加えられ、初めて一つの音が出来上がります。

 幕藩体制の中、被差別地区の人たちが受けていた差別は、特別に酷かったと言われています。しかしながら、『太鼓』という日本の文化を創り上げるためには、そこを除け者にしていたのでは実現は不可能だったのです。この人たちの技術や体験がなかったなら、日本文化は成り立たなかったわけです。

 死牛馬を解体処理することはうれしい仕事ではありませんでした。血で汚れるばかりか、獣の血から、その人自身がケガレた躰になってしまう。そんな躰で人様の中に入ってきてはならぬ、というのが当時の言い分だったのです。蔑みながらも、士たちは革製品を争って求め、鎧兜に使用しました。

 皮で出来た太鼓は神様の膝元で人々の中心に据えられました。死牛馬解体で得た知識や技術は、その当時だけではなく、明治以後にも、多くの恩恵をもたらしました。太鼓はもちろんのこと、新しい西洋医学の解剖学にも多大の貢献がなされたと言われています。 誰かを除け者にしたのでは、何一つ生まれては来ないことを覚えておきたいと思います。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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