広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成26年9月号 

★人権さまざま★ 113

   友人で詩人の西森茂が80歳で亡くなりました。全身障害の躰でした。しかし誰にも負けない高い心の持ち主でした。

 日高村に生まれ、晩年は村の重度障害者施設「コスモスの里」で介護を受けていました。生まれた時のことをお母さんに聞くと、初めての子で逆子の難産だったそうです。若い母親だけでも助けたい一心で、医師は出かかった両足を引っぱって無理に産まれさせました。そのため首から下の神経に傷がつき、歩くことはもちろんのこと、箸一本、エンピツ一本持てない不自由な身になったといいます。

 学校へも一日も行ってなく、文字は両親から教わりました。腹這いで、水の筆を口に咥え、床に書いて覚えたそうです。絵も上手で、詩集の表紙にも使ったものも遺されています。

 詩に馴染んだのは少年時代、新聞に投稿したことがきっかけでした。当時の高知新聞の選者島崎曙海に見出され、昭和33年(25歳)詩集『石車』を出し、高知県出版文化賞を受賞、一躍脚光を浴びる身となりました。

 母親は5人の子育てをし90歳でこの世を去りました。長男に全力を尽くした生涯だったと言えます。晩年の老いの身にはオムツ一つを取り替えるのも大変でした。彼はそれを心配し、新設されたコスモスの里に、自らすすんで患者第一号として入所しました。母親も弟妹たちも、強く引き止めましたが頑として聞きませんでした。〈このままでは家族共倒れになる、施設へあなたからも頼んで欲しい〉といわれました。私も施設長に「この人はメシも食べさせオムツも替えてもらわねばなりません。が、何よりこの人の頭の中の言葉を聞き取って書き移してやってくれませんか」と口述筆記のお願いをすると、「任せて下さい」と笑って応えてくれました。生涯、原稿が遅れることなく届けられ私どもの詩誌は休むことなく発行しました。彼の不撓不屈の精神は仲間にも刺激になりました。私も日高まで何度も足を運んで口述筆記をし、「凄いボランティアね」と褒めてくれる人もいましたが、それは逆で、私の方が彼から生きる勇気を教えられたのでした。あんな躰でも頑張れる。オレも負けずに生きなければと、自分を叱りながら彼の背中を見て生きて来ました。今は心からのご冥福を祈っています。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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