広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成26年4月号 

★人権さまざま★ 108

   「超後期高齢者になりました」友人知人からの便りの中にそんな文面が多くなりました。喜びの耀きよりも、やけっぱちに感じるのは私だけでしょうか。

 「高齢者」に前期、後期をかぶせていいだした張本人は誰なのでしょうか。どうせなら昔からいわれている長寿とか、高貴、好機、光輝、などムリをしなくても、老人の歓ぶ言葉はわんさとあるはずなのですが……。 高齢者にならなければ分からないことや初めて気づくことが多くあります。その良い点をいくつか紹介したいと思います。

 まずは長生きできる社会になったということです。昭和 0年の敗戦直後、男性の平均寿命は 歳に足りませんでした。それにくらべ今は百歳の平均寿命を目指そうとしている社会です。どの時代を幸せと考えればいいか、どなたでもおわかりのはずです。生まれてきた以上、一日でもこの世に長く生きていくことこそが幸せです。それには、社会全体も個人としても、そのための努力がなければ成し遂げられません。ましてや戦争などで死なないで生きられる社会を嘲うなんてことはまことに言語道断だというべきです。

 続いてすぐれた点は、障害者のことを他人事とは考えなくなったということです。

 私のこどもの頃は、五体満足という言葉が使われました。どこにも何一つ障害の無い子を誰もが願いとしました。

 もしも障害の子が近所にいればその人の真似をしてみたり、からかったりすることが当たり前の時代でもありました。そうして、そんな子(人)に生まれなかったことをひそかによろこんだりしたのでした。そんな心の奥底には「オレは障害者には全く無縁の人生だ」という傲慢さが潜んでいたのです。

 ところがです。歳を重ねるにつれて、膝の、目の、歯の、耳の、さまざまの故障がわが身に降りかかってきます。その時になって初めて「障害者」の身の上に思いを寄せることの大切さに気づくのです。高齢者の大半はどこかに障害をもつ身になると同時に、やっとこさ、障害を持つ他人様の身の上にも思いをめぐらすことになるわけです。老人たちが優しくなるのはそのためで、人間としての深みを加えていく幸せの世代なのだと、考えだしたせいなのです。

     (次号へつづく)
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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