広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成25年7月号 

★人権さまざま★ 99

   民主主義を掲げる社会では、さまざまな取り決めがなされています。たとえば多数決ということも大事な一つといえます。

 昔なら集団の中の長老か王様が物事を決める責任を負っていたものと思いますが、みんなの意見を多数の賛成者によって、決めるというやり方をし始めたのは、あのギリシャの都市国家アテネの市民たちであったと歴史の勉強で教わりました。

 私どもも「民主的にきめよう」というときは、多数決を採用することを原則としてきました。

 ところがこのやり方は、しばしば新しい争いのもとにもなり、新たな不満も生まれることにもなりかねません。負け組の少数派は「多数の横暴」だと主張し、やり直しを要求してきたりします。また、正義か不正義かと問われると、多数が必ずしも正義ではない場合もあって、問題も生まれたりします。ただ、今のところ「多数決」以外にいい方法が見つかっていないし、決まった以上は、少々の不満があっても、それに従うことが、民主主義の大前提であり、大切であることは、いう必要もないことであろうと考えます。

 アテネでもそうだったという例がのこっております。

 その生涯を通じて不正を行わなかったといわれている哲学者にソクラテスという人がいます。彼は最後まで正義を貫いて、民主主義を守り抜き、今に至るまで世界の第一人者とたたえられていますが、そのために死刑の判決を受けて死んだといわれています。

 アテネの裁判官五〇一人に、彼は無罪を主張して闘いますが結果は死刑。この判決も本気ではなく、(当時の慣習通り)彼はいずれ、「わいろ」を使って獄を出て、国外に逃亡でもしてくれるものと考えていたし、偉そうなことばかり主張する目の上のたんこぶを嘲ういい機会だとも予想したらしいのです。

 しかしながらソクラテスは、たとえ悪法でも、多数で決まった以上その法を守るのが市民の正義だと考え、毒殺の刑を甘んじて受け、今も名の残る超一流の哲学者となったのでした。

 それだけ大切な多数決なのですが、こと『人権』に限っては、多数決では決められないことを忘れてはなりません。たった一人しかいない人間の存在も無視してはならない、それが人権を守りぬくということなのです。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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