広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成23年5月号 

★人権さまざま★73

   江戸時代になると、北海道は松前藩の支配下になり、アイヌ民族は徹底的な差別を受けることになりました。

 藩では、家臣たちの給与を、アイヌとの交易で支払うことを考えます。が、その権利を本土から来た商人に丸投げし、利潤の中から知行(給料)を与えました。そのため、純朴で金勘定には疎いアイヌたちは海千山千の武士と商人たちに、息の根を止められるくらい絞り上げられることになったのでした。

 「アイヌ勘定」というごまかしが今に記憶されています。

 たとえば、― 一〇を数える時「一」の前に「始まり」という言葉を入れ、「一〇」までいくと最後に「終わり」という。これで物々交換すると、実際には「一二」となる。ひどいときは「五」の次に「真ん中」という言葉が入ることもあった―といいます。文字を持たず、ろくに計算の出来ないアイヌ相手は、これで通じたというのです。

 そんなやり方で年貢も決められ、ただでさえ厳しい取り立てのうえに、二割三割多いことは当たり前のことでした。

 アイヌたちは、耐えかねて、何度となく叛乱を起こします。 

 中でも「アイヌ三大蜂起」とよばれる戦いは、その度にアイヌの力を弱めていったように思います。コシャマインとかシャクシャインという英雄の名が歴史に遺っています。一歩も引かない戦いに武士たちは戦術を変えて、和議を申し入れ、仲直りの酒宴を催し、酒に酔わせて殺すという手を使ったこともありました。そんな事件のあと、取り立ては一層の厳しさを増し、多くの者が餓死し、奴隷にひとしい扱われ方をされました。

 アイヌの文化には文字がありません。狩猟や漁労が主体の暮らしでした。温厚で他人を疑うことを知らない民族を、和人たちは、野蛮で愚か者の集団だと決めつけてきました。

 大和民族とは、全く違う文明論を持ち、自然を崇拝し、素朴で嘘の無い民族なのだ、と日本の国会が認めたのは、二〇〇九(平成二十一)年のことでした。

 アイヌ民族への研究はまだまだこれからなのです。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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