広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成23年1月号 

★人権さまざま★69

   民俗学には、「ハレ」と「ケ」という二つの考え方があるようです。ハレは晴で、ケは褻、という文字で表します。これを日常に当てはめると、ハレの日は、お祭や儀式のある日のことで、その日に着る物を晴着というのはそこから出た言葉です。ケの日とは、ふだんの労働の日ということで、労働着は汗や埃に汚れることから、褻が枯れると考え、ケガレの語が生まれました。ですから元々の意味は、労働する気持が枯れる「気・枯れる」だったのです。それがいつの間にか汚れることの意味が強くなり、「穢れ」の字を使うようになって、もとの意味からそれていきました。

 そうしてハレとケの間にケガレが入り込んだのが平安時代頃ではなかったかといわれます。

 貴族たちは、毎日の暮らしの中に、ハレの日とケの日を作り、ケガレの日を作ったのでした。国が公式に決めた日だけでなく、個人でもハレとケの日に拘って、勝手な迷信の日まで作り、ケガレの日も全国に広まり、ケガレにならないようにと心をくだくことになりました。

 葬式は最大の褻の日であり、葬式も、してはならない日、行ってはならない方角。不都合な時刻、等々……さまざまなタブーにがんじがらめになりながら暮らすことになっていきました。迷信のひとつが、現代でもわれわれがとらわれている友引の日とか、三隣亡の日とかの言い方で遺っています。

 これら、根拠のない迷信が、今も私たちの暮らしに強く影響していることを思うと、ハレ、ケ、ケガレの考え方が、おいそれとは消えそうもない恐さを感じずにはいられません。

 日常に「いい日」「わるい日」は無いと私は思います。しいて言えば、運動会や遠足の日は雨でない日が善い日であり、自然災害で害を被る日は悪い日であることは確かです。

 日の善し悪しは人の好みもあって、いっせいに決めつけてしまうことは不可能です。

 大切なことは、今も遺るサベツの中に、ハレやケ、ケガレの考えがあってはならないということです。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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