広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成22年12月号 

★人権さまざま★68

   天武天皇四年(西暦六七五)、〈殺生禁断令〉が出されたと、『日本書紀』に書かれています。

 ー今後、漁や猟に従事する者は、檻や穽、梁を設けてはいけない。また、牛馬犬猿鶏の肉を禁じる。それ以外はよい。犯した場合は罪に処するー。

 鹿や猪が外されたのは、天皇や貴族もその肉を食べていたからといわれています。このことが、殺生を禁ずる仏教の普及と共に、後々にまで影響をもたらしてしまいました。

 つまり、ケガレに関わる国家的措置を法制化するきっかけになってしまったのです。

 天武天皇は『古事記・日本書紀』の編纂や「身分制度」の制定などで「大天皇」と評価が高い人ですが、ケガレにまでも法律を作った天皇でもあります。

 肉を食うことや血を流すこと、死体を扱うことでの体の汚れ、……そのような事に行き当たったら、汚れを落とさないまま出歩いたりしてはいけない、などという法律が、その後、何回も書き換えられてケガレを広げていきます。ケガレをハライ・キヨメる行事が王朝の公式行事にさえなっていきました。

 京都に都が遷った平安時代になると、ケガレはほかへも伝染するものとなりました。宗教がそれに輪をかけたうえに、貴族社会だけのものであったものが、民衆社会にまでひろがっていきます。初めは禊をすればきれいになるといわれていたのでしたが、ハライ、キヨメても回復できないものにもなっていきました。そのうちに、生涯にわたって清浄にはなれないものも現れました。お産や生理で血を流す女性、快復のない障がい者がそれらに当てはまります。

 命ある者すべてが自然の摂理として受け入れねばならないことまでも、汚いもの、不浄のものとされてしまいました。

 各地に女人禁制の場所や心身障がいの人々を排斥する場所もつくられ、都以外の地にも広がっていきました。そうして、獣の肉を処理する人、革細工人、葬式の担当者、祈祷師等々……、数々の職業の者達が尊敬と同時に懼れられて、サベツの対象者にさせられていくのです。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

▲ Back
Copyright Shimanto-City Office All Rights Reserved