広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成22年6月号 

★人権さまざま★62
   私どもの育った昭和の初めは、日本中が貧しい時代でした。

 衣服などふんだんにあるはずもなく、私など姉のおさがりの簡単服を着せられたことさえありました。涼しさは抜群でしたが、幼心にも、こんな不便な衣服はなかったと思い出します。下着のパンツが無いためにどんな行動をとればいいか困りました。中でも一番の不満は、ポケットが一つしかなかったことです。学校に上がるようになって、男の子の服を着せてもらったとき、何よりもポケットがたくさんあることに大感激しました。子どもはいろんな宝物を持っています。B玉、パンコ、小石、ビンの欠片…、すべて夢のような持ち物で、それを一つひとつポケットの中へ分けて収納できるのが、男の子の喜びだったのです。女の子の服にポケットの無いのは子どもの夢を小さく限定していたのではなかろうか。 ポケットが、僅かに一つで育てられると、夢をたくさん持てなかったのではなかろうか、などと今になって思ったりします。

 現代では男児女児の区別はほとんど無く、服装のみならず、行動の規範やタブーでの男女差はまずありません。そんな中にポケットの効用を考えている服があるならば、我が意を得たる思いがするのですが、いかがでしょうか。

 男女共同参画社会というのは、言いかえると、夢をいれるポケットの数に男女の差を付けないで子育てしようということでもあるかと思います。それを、男を女に(女を男に)することかと訊かれたりします。とんでもない。性までも転換せよとは誰も言ってはおりません。

 男は男に(女は女に)育たないと困ります。でも、昔から間違っていた事とか、これなら区別する必要はないのではないかという事柄を捜し出そう、それを、みんなで考えようとしていることなのです。

 私のような古い型の人間は、昔の基準で物事を見ることが多くありますが、幼い時は嫌だった簡単服を、今だったら涼しくて快適だろうなとあこがれます。だれか「夏は男もワンピースを」と言ってくれないものかと、臆病な服装革命を夢みています。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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