広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成21年9月号 

★人権さまざま★53
   昭和49年4月、国の派遣社会教育主事制度が発足いたしました。私もその一員として行政職への転身辞令を受け、東京上野にある国立社会教育研究所での講習会に参加するようにと命ぜられました。

 全国からさまざまの教員が任命されて、府県によっては現職の校長を当てたり、ある県では二十代前半の高校の体育教師で固めたところもありました。(国体開催に具えてとのことでした)

 文部省(現文科省)は、約百日間の受講中、私たちに言い続けたことは、教員の臭みから脱却せよ、ということでした。

 その臭みとは、まず「教員は常に優位に立って相手をみる傾向がある」。第二は「ものには必ず結論があって、しかもそれは一つしかないという信仰をもっている」。第三は「教員は知識の優れた人を優位な人とみるくせがある」ということでした。

 相手を見下したことはなかったですが、受け持ちの子供らの前では、そうだったかも知れません。また、答えは一つでなければ小学校の授業は成立しなかったのです。そして、成績の優秀なものから正常分配曲線に当てはめて通知表を作ることが仕事でもあったのです。反論のすべもありませんでしたが、よく考えてみれば、教師だけでなくどこにでも似た型の人は存在していると、合点もしました。

 社会教育では、教える者と教えられる者が瞬時に入れ替わったり、知識よりも技量の優れた人は数多いこともあらためて確認もいたしました。

 元気な仲間も多く、講習は活気に満ちていました。現時点での最大の教育課題は「同和問題」なのに、その内容が計画されてない、と抗議する者も多くいました。まさに差別の現実を見ない同和教育は文部省といえども許さないの信念をもつ実践者に頭が下がるのでした。
「よく遊びよく遊べ」を力説する社会教育局長にお墨付きの色紙を書いてと私から頼み全員に書いて渡されました。教育とは楽しく遊ぶことを目標とすることだと今も信じています。

 我こそは世の中の差別解消の立役者になろうと誓い合った仲間たちは、今もまだ、熱い心が燃え盛っているでしょうか。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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