広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成20年5月号 

★人権さまざま★37
   沖浦和光先生(桃山学院大学名誉教授)には、いつも新しい考え方を教えられてきました。最近発行の『瀬戸内の被差別部落』からも知らなかった差別の実態を知ることができました。
 瀬戸内海の漁民については、古くから水軍とか海賊とかの名で呼ばれ、ほめられているような貶されているような両面が伝えられていますが、大半の漁民は賎民としての扱いを受けてきたのだそうです。全国の被差別部落の数は約六千といわれていますがそのうち一千部落は因島を中心とした瀬戸内の島々にあるといいます。なぜここだけにそうした地区が集中しているのかというと、あの厳しい身分制度で人びとを一人残らず縛り付けていた徳川時代でさえ、漁民の大半は国の員数に入れられていなかったのです。
 この地方には、古くから家船とよばれた船で住まいをする人びとがいました。家族四〜五人の命と全財産を積んで「板子一枚下は地獄」の生活でした。産気づいても産婆さんもいない。自力で赤ん坊を産み茶碗のかけらでヘソの緒を切ったとも伝えられて、文字どおり海の上で生まれて海で死んでいくというも
のでした。毎日の漁が真剣勝負でしたから、寺子屋や明治になってからの学校もほとんど行かれない状態でした。こうした人たちが、後に「陸上がり」といわれる陸の上での定住生活をするようになっていきます。その理由としては、漁船が動力化され船で寝泊まりしなくても遠くまで出漁できるようになったことや、漁法の変化、子弟に義務教育を受けさせる必要…などが考えられますが「陸に上がった河童」同然でどこへ行っても差別はついてまわりました。
 彼らは海に住みながら古くから漁業権が与えられていませんでした。また、特定の村の寄合や宮座などからもはずされ、ほかとは結婚も許されていませんでした。現在六十代以上の人には読み書きも出来ない人が多く、就職活動や暮らしの全般にわたっての差別はいまも続いています。農業が国の中心だった時代、一坪の耕作地ももてず、さすらいの海上産業に従事してきた海の民の存在を知り、目を開かされる思いをしています。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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