広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成20年2月号 

★人権さまざま★34
   大阪にお住まいの詩人李明淑さんを知り、詩集『望郷』を読ませていただきました。六十編近い大作は、全編、感動の連続でした。詩集のあとがきや頂戴したお手紙を引用して今回は、詩人の身の上をご紹介させていただくことにしました。
 李さんのお母さんは、当時、日本の領土とされていた朝鮮半島の慶州で生まれ、新婚まもない十八歳で日本に来られ、半世紀あまりを在日一世として、貧困と偏見、差別に晒された生涯を送ったといいます。
 李さんは私と同年代に日本で生まれましたが、「朝鮮人」と呼ばれ、一家は大変な苦しみの中で生活しなければなりませんでした。
 戦後まもなく、お父さんはわずか四十七歳で急逝。五男一女の子供とおばあさんを抱え、ボロ屑集めのリヤカーをひいて働き通したお母さんでした。服の下にはいつもやや幅の広い一本の紐を巻いて腹を締め付けて、空腹をしのいだともいいます。
 李さんの小学一年生の時創氏改名を(朝鮮名を日本名に変え)させられました。敗戦の年に国民学校を卒業したものの希望した女学校には朝鮮人だということで入学を許されず、心ならずも入った学校ではいじめで不登校になりました。それでも学校へ行きたかった李さんは、六十歳で夜間中学へ入学、続いて高校も卒業され、詩人として大成されました。今、お母さんの辿られた差別と貧しさに耐え抜く姿を、懸命に闘い続けた逞しい女性の姿として、この詩集に発表されたのでした。
 お母さんは、日本で生まれた子供らの未来を案じ、日本への帰化の申請を決断しました。それでも提出期限の前夜まで哀号哀号と泣き続けたそうです。
 人としての尊厳さえも否定された「在日」への差別も、帰化すれば人間らしく扱われるのではないかとの思いも、同胞からは祖国を捨てた裏切り者とされ日本社会からは帰化しても朝鮮人は朝鮮人だとして受け入れられませんでした。
 私たちの住む日本はどうしてこんなにも人間を差別しないではいられないのだろうかと、深いため息をつきながら読み終えたことでした。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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