広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成19年9月号 

★人権さまざま★29
   他人の子を育てたことがありました。妻の縁に繋がる子で、パパは東京で公務員、ママはまだ二十代の若さでなくなり、生後間もなく田舎の高齢の祖父母に預けられた子供でした。

 出会ったのは妻の実家に出向いたときで、色白で目玉のクリクリとしたあどけなさが、四歳というのに二歳半ていどにみえました。半日一緒に遊んだ後、私たちが帰るというとついて行くといいます。「お父さんお母さんと呼ぶなら連れて行ってもいい」といささか残酷な要求をしたところ、ためらうようすもなくすぐにそう呼びかけてきました。ごまかすわけにもいかず、そのままわが家に来て一年近くを共に暮らしました。

 体格体力は幼さそのものでしたが、仮名の読み書き、漢字さえ幾つか知っていました。祖父と家の中で遊び新聞などで覚えたようです。そんな学力?があるのに、〈高い高い〉してやると顔面蒼白になって私を慌てさせました。私の役目は海や山でいっぱい遊ばせることでした。

 気になったのは寝小便で、毎晩でした。一晩に二度もやってしまうことも多く妻を手こずらせました。何よりたいへんだったのはヨダレです。起きてる間、前半分がベチョー…と濡れていて抱く気にならないほどです。 夫婦で考えついたのは「母の味」を知らないからではないかということでした。解決方法はたった一つ、「お乳」を飲ませることでした。その日から照れくさがる母子に私も協力して、乳房を含ませながら三人で添い寝する実験を試みました。なんと僅か一週間でヨダレだけはきちんと止まったのでした。

 その後、声のトーンまで変わりました。恐くなかったものが恐くなり、すっかり赤ちゃん返りを始めましたが、「赤ちゃん」に戻らなければ大人の階段を上がれなかったのではと今も確信めいた思いがあります。

 男の子の無かった私共はその子に跡取りまで夢想しました。 一年生になれば剣道もやらせようとまで話していましたが、春まだ浅い季節、東京のパパが訪れ、一言二言ことばをかわすと、いかにもあっけなくバイバイと手を振って帰っていきました。 今は…、東京で働いています。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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