広報しまんとコラム 「人が人らしく」  平成19年9月号 

★人権さまざま★28
   高齢者社会の在り方を、フランスの哲学者ボーヴォワールはその著『老い』で次のように書いています。

「現役でなくなった構成員をどう処遇するかによって社会はその真の相貌をさらけ出す」。
 いつの時代でも、どんな社会でも、老人の扱い方ひとつで、その国の値打ちが決まるというのです。昔は「親孝行」という言葉で、有無をいわせない道徳観がありましたが、親や老人に対する考え方も一律にはいかないのが現代の様相のようです。

 高知新聞(七月一日付)の視点欄に中島丈博さんが電車のシルバーシートを独占する若者に抗議した老人の話が載せられていましたが、老人の中には席を譲られても「バカにするな」という人もいて、どうしていいのか困るという若者もいるかと思います。私もどちらかといえば、老いていることを自認しない側の老人なので、世間には多大の迷惑をかけているのではなかろうかと心配しています。

 そんな種類の老人のひとりとして、私は、自分の目標としている人間像があります。それは
お伽噺に出てくる老人たちです。そこに登場するお年寄りたちの生き生きとしていることにいつも驚かされるのです。この人達は、つぎのような点で頭が下がります。一つは「他人の子」をわが子以上に慈しみ育てているということです。桃太郎もかぐや姫もおばあさんの生んだ子供ではありません。それなのに立派に成人させて世の中に送り出しています。二つめには、「障害のある子」でも分けへだてをしていません。先ほどのかぐや姫も一寸法師も今でいえば超未熟児で生まれた子です。また生まれてから何年間も、ホギャーともいわず飯ばかり食ってる力太郎なども、愚痴一ついわず育て上げているのです。

『御伽草子』にはそんな老人たちがいっぱい登場します。
「そりゃあ昔話じゃろがよ」、といわれるかも知れません。たとえ荒唐無稽の話だとしても、こうした人々の魂を何代にもわたって口うつしで伝えてきた日本民話の心を自分の心としたいのです。お伽噺が読まれなく語られなくなった今を、もういちど見直してみませんか。
 
   四万十市人権啓発講師   
         山本 衞
 

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