四万十市史跡めぐり
幸徳秋水の墓
幸徳秋水の墓 幸徳秋水の墓
20mほど細道を入ったところに幸徳秋水の墓があります。

幸徳秋水(1871年―1911年)
 幸徳秋水は本名伝次郎。明治4(1871)年、中村の豪商俵屋に生まれ、幼少から神童と言われました。 
 土佐の自由民権の風土の中で成長し、16歳で上京、林有造の書生となり、やがて中江兆民に師事するとともに、自由新聞、万朝報、平民新聞などの記者、ジャーナリストとして活躍しました。 世界的視野での自由・平等・博愛の思想を身につけ、日露戦争では非戦論を唱えました。社会主義運動に挺身し、『廿世紀之怪物帝国主義』など著書多数を残しましたが、明治44 (1911) 年、自由平等思想の普及を恐れた明治政府の弾圧により、「大逆事件」の首謀者に仕立て上げられ、死刑に処せられました。
 20世紀最後の2000(平成12)年、中村市議会(当時)は秋水の名誉を回復し偉業を讃える「幸徳秋水を顕彰する決議」を全会一致で採択しました。
 現在も1月24日の命日には、この地で墓前祭が行われております。

2011年9月
幸徳秋水刑死百周年記念事業実行委員会
四 万 十 市

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