土佐一条氏は邸内に藤見の館「藤遊亭」を建て、家紋でもある藤をこよなく愛したと伝えられています。 土佐一条氏第4代当主一条兼定は、長宗我部氏に追われ、館を離れるにあたり「植え置きし 庭の藤が枝心あらば 来ん春ばかり 咲くな匂うな」 と歌を残して去り、この藤はその後約三百年間花をつけませんでした。 しかし、文久元(1861)年、この藤が見事に咲きほころび、このことが翌年の一條神社建立の発端となりました。